#77 JA(農協)の「暗い部分」談

農業

日本の農業協同組合(通称JA)は農家による農家のための組織だ!

この主張は農協法の定めるところであり、当然に民営の組織であって国営(官営)ではない。しかし農協史を辿ると必ずしもJAが自由と民主主義の下、国家権力と決別した組織とは言えない「暗い部分」がある。

行き詰まる農協経営

農協は戦後に生まれた組織。と言っても、戦時統制下にあって国民に食糧等の配給を担っていた「農業会」を前身にしており、農協はその機能を一部継承したこともあり「看板の塗り替えだ」と当時批判があった。とはいえGHQは農協に対する行政の介入を強力に制限し、政府もこれを遵守したので農協は画期的な理念と壮大な機構を整備して出発する事になる。ところが。

全国に発足した農協は直ちに全般的な経営不振に悩まされる事になる。1950年には全国の43%が赤字経営となっていた。この年には約1,000の農協で貯金の払い戻しを停止したり制限されたりする事態となり、経営面での破綻が明るみに。何があったのだろうか。

外的要因

まず外的要因を挙げよう。

①ドッジラインを引き金とする「安定恐慌」とアメリカを中心とする海外農産物の輸入増大により農産物価格が低落。
②生産資材を含む工業製品価格が上昇、競争的産業部門である農業製品(農産物)との価格差が開く「シェーレ現象」の拡大。

内的要因

次に内的要因。設立間もない農協にはいくつか弱点があった。

①設立時17,000を超えるほど乱立し、集落単位等の小規模農協においては組合員の負担が非常に重く、農業部門の困窮はまず小規模農協に深刻な影響を与えた。
②農協がインフレの最中に設立されたため、出資金がたちまち過小となり実質的には1/10以下の金額まで弱体化し、事業経営が不可能になった。
③ 農協の前身である農業会から引き継いでいた「不良資産」が経営を圧迫。
④設立当初から注力していた加工部門が大きな赤字を出した。
⑤ 農協の職員は多くがもともと農業会に在籍していた人間で、性急な旗揚げもあり協同組合の事業経営への理解が乏しかった。

他方、統制期間としての性格を排除するという名目で農業会の実務経験を持つ役員を軒並みリタイアさせたにも関わらず、この時期の農協の販売・購買事業は国の統制業務の代行が優先されており農協自身の自主的活動の余地が極めて少なかった。この点において、農協の経営不振の原因を農業者のみに帰することはできない。

これらの複合的要因は、新生農協にとってはまだ対応する力がなかった。ここに、それまでGHQによって制限されていた農協への関与を、1951年のサンフランシスコ条約によって国家が独立したのと同時期に始める事になる。折あしく農協は自身の力で再建することが叶わず、「農林漁業組合再建整備法」という国の法律に頼らざるを得なかった。

農林漁業組合再建整備法

再建整備法については各JAの広報や職員研修に使われる教本においても、当時の理事者の責任問題もあり正面から語られることが少なく避けて通るような傾向がある。しかし当該法律は今日までの農協の性質を形作る重要な出来事であり、これを避けて農協史を語ることはできない。

再建整備法は、主に債権の整理・自己資本の増強のため、固定化資金利子補給と増資に係る奨励金を国庫から交付するというものであり、その結果2,480 の総合農協が交付金を受けた。ここで留意しておきたいのは、赤字の農協が再建できたのは再建整備法による国庫資金が主ではないということ。

実際には組合員農家のふところから増資させる事により帳尻を合わせることを主眼としており、国はその促進のために奨励金を出したにすぎない。その証左として再建整備にあたった農協および連合会の増資総額は174億円、これに対し政府奨励金は30億円(17%)であり、大部分が農家の負担だった。

しかもこの増資は組合員の自主的なものというよりは部落の座談会や個別訪問、ポスターやリーフレットなどあらゆる方法で推進され、中には賦課金として集めた農協もあり経営破綻のツケは農家に重くのしかかる事になった。

奇しくも整備再建法に基づく増資推進を現地でリーダシップをとったのは行政だった。それだけ組合経営の状態が酷かったことを意味するが、再建整備が農協運営を自主自立型から行政主導型に転じさせた契機となったことは間違いない。

まとめ

JA(農協)は

  1. 農家の自主性によって生まれた組織とは言い切れない
  2. 再建整備をはじめ今日に至るまで幾度も国家の関与を許した
  3. 但し②は国家の責に帰する部分もあり、癒着とは程遠い
  4. 最終的な負担は「農家」、次に単位農協(JA)

それでも厳しい食料事情の下、米の供出を確保する農協の機能は不可欠であったし、肥料等の配給のパイプとしても重要だった。行政サイドからは、農政執行の窓口として市町村単位に設立された農協は不可欠な存在であり、米の供出割当や事業を遂行する機能も欠かせないものだった。

思うに農協は政府に良いように使われたり、逆に使ったりを繰り返していて、農業人口の減少によってそのパワーバランスが崩れてきているのかも。

戦後およそ全人口の半分が農家だった頃の農協を何としても存続させなければならないと国が考えていたのならば、今や全人口のおよそ2%に減った農家を助ける組織は政治においてその重要性が希薄化しているのだろう。その意味では農協は従来の行政主導型の体質を改め真に自主改革に臨まなければならないと思う。

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