化学農薬・肥料を使う野菜が有害だという意見が蔓延る今般。参政党をはじめ、反農薬界隈が活況を呈しています。
ところで、実は戦後当初日本では生野菜を食べる文化がほとんどありませんでした。なぜでしょうか?
当時は「下肥」という人糞尿を肥料として使った栽培方法が腸内寄生虫や伝染病の原因となっており、多くの国民が寄生虫に侵されている状況でした。野菜を生食する文化がなくとも、人々は蛔虫や赤痢菌のリスクに脅かされていたのです。
他方、政府とGHQは無機質、ビタミン類等の国民的不足を案じサラダなど生野菜の摂取を望みましたが、日本産の野菜は衛生的に問題が多く、当初は野菜の使用を避けたり輸入野菜で対応されたほどでした。そこで、下肥を用いず化学肥料で栽培された「清浄野菜」が注目されたのです。

1949年に東京で「清浄野菜販売店」が登場し、1950年代半ばにはドレッシングなどサラダ向け商品も登場。国は1955年に「清浄野菜普及要綱」を発布。そして1960年代には冷蔵庫や調味料の普及も重なり、「清浄野菜」が広く流通・定着するようになりました。
果たして、化学肥料栽培が一般化し衛生的に問題のある栽培法がほぼなくなった事もあり、もはや”当たり前”となった、「安全に生で食べられる野菜=清浄野菜」という言葉は自然消滅していったのです。
化学肥料・農薬の普及は世界の食料不足の改善に大きく寄与し、日本でも衛生環境と栄養状態の劇的な向上を実現しました。この科学技術の進展なしに、戦後70年を生きる私たち国民の豊かな生活はあり得なかったでしょう。
しかしそれがあまりに「当たり前」となったことで、その恩恵を忘れてしまった人々がいるのが現状です。ですが間違いなく、私たち人類は科学の発展と共に歩みを進め、石油をはじめとする化石燃料のエネルギーを食料に変換する技術によって今を生きているのです。
今では化石燃料にも限界が見えはじめ、屎尿等を適切に処理した「汚泥肥料」の開発が進み、新たな科学技術によって循環型社会を築こうとする試みも進んでいます。
私たちも今置かれている「当たり前」に目を向け、その恩恵を噛み締めながら趨勢を見極めたいですね。
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