「多少見た目が悪い野菜でも受け入れていく価値観が必要」
という言葉を今般よく目にします。見た目が悪いだけで、食味や栄養価は然程変わらないと。中にはむしろその方が美味しいとか、栄養があると主張する意見も聞きます。
これを聞いて私が思い出すのは、フィリピンに留学した時に貧困層の暮らす農村に行った時のことです。そこで私は大きな水溜まりができてしまう窪みを埋めるべく、大き目の石やブロックを皆で運ぶ作業をしました。雨の後でぬかるんで泥のついたブロックを、現地の人たちは何食わぬ顔で素手で持ち運んでいきます。他方、作業の内容まで知らされていなかった大学生の私たちはたじろぎます。
手袋など勿論ありません。恐る恐るブロックを拾い、割と重さがあるにも関わらず指先で持つようにして運びます。私自身は農家の子として育った境遇からかあまり気になりませんでしたが、女の子や一部の男の友人たちは、1つ運び終えるたびに洗い場へ行き、手を洗っていました。
またすぐ泥にまみれる手を、少しでも綺麗にしておきたいという日本人の衛生意識の高さの片鱗を、学生ながらに実感した瞬間でした。
その後も、屋外(日避けの屋根はありますが)での昼食時にも、並べられた食事の上空にはハエが数十匹飛んでおり、これまた現地の人たちは慣れた様子で食べていくものの、私たちは左手で追い払いながら、それこそ女の子たちは叫んだり、食欲が失せてしまった人もいました。
私がこの経験から思うのは、果たして見た目が悪かったり虫食いがある野菜を、今スーパーに並ぶピカピカの野菜たちに代替して受け入れられるのか?という疑問です。
おそらく、日本人の衛生意識は極めて高いです。決してフィリピンの人たちの衛生意識を糾弾するわけではなく、経済と文化の成長・発展の度合いによって、そしてその成り立ちによって、どうしようもなく日本人の衛生意識は高まっていると思います。
きっと世界を均して見ても、日本の衛生意識は高いでしょう。しかしそれは細やかで繊細な日本文化を下支えしてきたある種誇りとも定義できるものです。悪く言えば病的なそれとも言えなくもないですが…。
よくこの衛生意識=価値観を変えなければ!という方がいらっしゃいます。しかしどうやって変えていくのか、めぼしい具体的な方策まで提示する人は稀有です。私個人としてはこの衛生意識を「下げる」方向に持っていくのはおそらく現実的ではないですし、できても部分的にとどまり解決には至らないと考えています。
多分、より農家に近しい人々ほど受容はされるのだと思います。しかし都市一極集中の時代、大消費地では農業も下火です。近年では農業体験や家庭菜園を始める方も散見され、農作物の実情に一定量理解を示す方々も増えています。増えていますがそれでも全体で見ればまだまだ多いとは言えません。
昨今の食の安全性やフードロスの解決の糸口はここではない。ここにはないと、私はそう思うのです。
それでは今回はここまで。ありがとうございました。
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