子育てに勤しむ方々へ「共有体験」の提案

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こんな時代だからこそ、子どもに対する親の接し方の大切さを伝えておきたい。

私は日常の何気ない「共有体験」を地道に重ねる事を意識している。どういうことか?

子どもの自殺の増加や、発達障害の増加が問題視される今般。しばしばその原因に宛てがわれるのは農薬や添加物等の化学物質。明確な因果関係もなしにだ。自分は本質的なところはもっと別にあると考えている。

自尊感情

キーワードは「自尊感情」。自尊感情は「社会的自尊感情」と「基本的自尊感情」の2つがある。社会的自尊感情とは、他者から褒められたり認められたり、成功体験を積むことにより高まり、他者との比較に基づく相対的な優劣による感情のこと。「できる」「役に立つ」「価値がある」「人より優れている」と思うことで「自信がある」という状態。

ただ叱られたり認められなかったりするとこの感情はしぼんでしまう極めて不安定な自尊感情で、そうならないために際限なく成功し続けなければならないため本人を疲弊させてしまう。大多数の子どもはこの過程で失敗し、敗者となって社会的自尊感情が潰れる経験をする。社会で成長し挑戦していくために欠かせない感情だが、人が生きる上でさらに大切で根源的な感情の領域がある。それが「基本的自尊感情」だ。

「基本的自尊感情」は成功や優劣とは無関係に、自分の良いところも悪いところもあるがままに受け入れ、自分を大切な存在として尊重するもの。他者との比較ではなく、絶対的で無条件の感情であり根源的で永続性があるのが特徴。「生きていていい」「このままでいい」「これ以上以下でもない」「自分は自分」と無理なく自然に思える感情で、安らぎや満足感につながる。

膨らんだりしぼんだり、潰れてしまったりする社会的自尊感情を、下で土台としてしっかりと支えるのが基本的自尊感情。これは、人生の中で何度も経験するであろう挫折や困難を乗り切る原動力にもなる。

基本的自尊感情は地道な作業(=共有体験)によりじっくりと育まれ形成されるが、社会的自尊感情は挑戦と競争と努力によって高められる。では共有体験とは?その前に。

現代社会では家族の在り方が変わり、地域社会の地縁的紐帯関係も希薄となり、子どもが日常生活に於いて基本的自尊感情を獲得する機会が著しく減少している。こうなると、生きていること、存在していることに不安を感じ、自信の持てない状態に陥ってしまう。基本的自尊感情が乏しい=土台が脆いと、浮き沈みの激しい社会的自尊感情の変化に心が耐えられない。

今やご近所さんとの関係性も希薄化し、祖父母は老人ホームに入る時代。だからこそ親の役割は大きい。大きいが故に歪んだ教育を施してしまう、過保護になってしまうというのは、少子化よろしく仕方のないことかもしれない。焦ってはいけない。我が子に最も「共有体験」を施せるのは他でもない親自身だ。

共有体験

「共有体験」とは、信頼できる他者と五感を通じた体験を共にし、その時、その場で共に感じ合うこと、つまり「体験の共有」と「感情の共有」。子どもが親と一緒に道端に咲く花を見て「かわいいね」と微笑み合うこと、公園の遊具で遊んで「楽しいね」と笑い合えること等、体験と感情の共有を通して子どもは「かわいい」「楽しい」という自身の感情が間違っていないことや、そう感じる自分を受け止めてもらえている事を実感する。基本的自尊感情は、こういった日常の中の何気ない共有体験を地道に重ねることで少しずつ育まれていく。

「自分はこの世に出てきてよかった」「自分は愛されている」という安心が心の土台を形成する。この土台を形成するには基本的自尊感情の獲得と併せて、「基本的信頼の獲得」と「無条件の愛+無条件の禁止」の2つが、とても重要。基本的信頼とは、信頼する大人(保護者)との関わりの中で身体全体で感じ取る他者や社会への信頼のことで、共有体験を着実に重ねていれば問題なく得られる。

無条件の愛+無条件の禁止

無条件の愛、というのは”愛しているかどうか”が大切なのではなく、“愛されていると実感できるかどうか”が問題になる。愛と言うのは子どもがそれを実感できなければ親の一方的な押し付けに過ぎない。ではどうすれば実感してもらえるのだろうか?それは無条件の愛に対する、「無条件の禁止」が必要。

いくら愛が示されても、併せて「禁止」が示されなければ、こどもは「愛」を実感することができない。愛の効果は禁止と釣り合うだけの分量に過ぎない。こどもの言うことを全て受け入れて、何でも買い与え、何でも許すといった態度だけでは、こどもは愛を感じられない。寧ろそれは自分の存在を親に無視され、否定されているとさえ感じてしまう。無条件の愛が与えられている時は、同時に無条件の禁止も必要。「ダメなものはダメ」としっかりと伝えなければならない。

「問答無用」の禁止というものがこの世に存在すると教えること。「なぜ人を殺してはいけないのか」と言う疑問に対しては「いかなる理由があってもいけない」という絶対的な禁止以外あり得ない。無条件の愛と無条件の禁止という、人間関係の両極端のあり方を知っていれば、残りの人間関係はその中間的な領域に分散する。基本的自尊感情に支えられ、無条件の愛と無条件の禁止を知ったこどもは、自身を持ち失敗を恐れず、人の道を踏み外さない強靭な「生きる力」を身につけられると思う。

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