「本当に頭の良い人はわかりにくい話を、誰にでもわかりやすく伝える」のでしょうか。思考の展延性について

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本当に頭の良い人はわかりにくい話を誰にでもわかりやすく伝える。知識のない素人に説明するのが上手く、言葉選びから相手の理解度まで目端を効かせ、物事を丁寧に説明するような人をそんなふうに形容する意見はこれまでにも多々あったと思います。

私はこの意見については否定的な立場です。

この言説が罷り通ってしまう場合、

話の受け手にとっては

・難しい内容や用語についてそれを理解しようとする努力を公然と放棄することができる

・自身が内容を理解できない時、その責を他者に押し付けることができる

・「わかりやすく伝える人=本当に頭の良い人」という定義付けによって、「頭の良い人」を見下せるルサンチマン


また話し手にとっては

・難しい内容の話をただ簡略化・単純化し見た目だけを分かりやすくしたものを、ある程度難解ではあるものの内容の正確な文章と「同レベル」以上に引き上げることができる

・難しい内容について読み手に理解する努力を放棄させることで、自分の簡素化した内容を鵜呑みにさせることができる

こんな風に私は考えるのです。

分かりやすい説明に慣れ、それが「本当に頭の良い人だからこその内容なんだ」と思い本来の確度の高い言説を蔑視する。これほどまでに恐ろしいことはないと、そう思うのです。

当該主張が罷り通ってしまえば、文章を読む過程で出遭う難解な語句に対する知ろう、学ぼうという熱意を失ってしまいます。

理解できない理由を他者に押し付け、「もっと分かりやすく言ってよ。本当に頭の良い人は誰にでも分かりやすく説明できるものなんだぜ」と。

「あの説明は難解すぎる、こういった読み手のことを考えた分かりやすい文章こそ本当に頭の良い人が考えた内容であり、信用に値するんだぜ」と。

不正確な文章や内容の浅いものをそれっぽく見せるために、一般的でない専門用語や難読漢字を多用する輩も一定数存在すると思います。確かにそれは褒められたものではありません。しかし、難解な用語や語彙を包摂した文章の全てが全てそうではないことは確かです。

蓋し、「難しい内容を分かりやすく伝える人」は、教師や指導者などの「教え伝える」という技術に長けている人間を指すのであって、必ずしも「本当に頭の良い人」の絶対条件ではないと思います。

頭の良い人に本当も嘘もありません。頭の良い人は確かに頭が良いんです。

私たちに理解の及ばない様々な分野の専門知識と技術の発展によって、今の社会があるのですから。

そもそも、「簡単、難しい」の定義だって曖昧です。人によってかなりばらつきがある中で、「分かりやすい内容」を礼賛してばかりでは人々は考える力をどんどん失っていきます。

難解な内容に遭遇したとき、それに目を逸らさず如何なるものか、何を説明しているのか、探究の出発点となるはずです。難しい漢字も、今の時代調べればすぐに分かります。簡単に説明してよと駄々をこねるのと、すぐに調べて自分の知識として吸収するか、どちらが理にかなうかは明白のはずです。

今般、立ち向かって考える、深く考えるということを放棄した「受け手」が少なくないことに危機感を覚えます。彼らは紛い物の「分かりやすい文章」を「本当に頭の良い人」のものだと喜んで受け入れ、理解の遅滞という”ストレス”なく鵜呑みにします。

この様な人々は、誤情報やデマゴーグを簡単に信じ込み、その根拠やデータを求めることもせず、詐欺に等しいビジネスや宗教、政治団体に染まりやすいと私は考えています。

一般人こそ「思考の展延性」、つまり考える範疇の伸びと広がりを意識し常に新しいことを取り入れ身に付けんとする姿勢が大切だと思います。私たち一般人は決して専門知識を持つあまねく方々を軽視すべきではありません。

そして、一般人こそは最も知識の伸び代があります。その潜在性を「分かりやすい簡単な内容」で埋め尽くしたとき、あなたは「専門家」となれるでしょうか。

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